中川浩(科学の教室編集長)のwiki経歴!学研の改革の内容は付録?【アンビリバボー】

スポンサーリンク

4月25日(木)放送の

【奇跡体験!アンビリバボー】は

『奇跡呼ばれた科学本』

『科学の教室』が特集されます!

そして物語の主人公は

当時、編集部長に抜擢された中川浩さん

中川浩さんは

厳しい改革を行ったそうですが

いったいどんな人物なのでしょうか?

今回は

『科学の教室』の

編集長・中川浩さんに

迫ってみたいと思います。

スポンサードリンク

中川浩のwiki風プロフィール

名前:中川浩(なかがわ ひろし)

所属:Gakken(学研)

中川浩さんは

1960年の高度経済成長期に

”科学がこれからの日本を作っていく”

という信念のもと創刊された

雑誌『科学の教室』の編集長に抜擢されます。

当時、『科学の教室』は

全く売れずに毎月廃刊が検討される程の

崖っぷちに追いやられていました。

そんな中

編集長になった中川浩さんは

『科学の教室』の編集部に

来るなり誌面に目を通し

机に叩きつけて「全く面白くない!」

とこれまでのやり方を全否定したという逸話があります。

ここからが

中川浩さんによる

厳しい改革の始まりだと言われています。

どれくらい厳しかったのかというと

編集部員たちが寝ずに書いた企画書に対して

「お前たちは頭が硬すぎるんだよ」と

無常のボツを繰り出したりしていました。

もちろん部内では

不満は募りますが

雑誌が売れるためにはと我慢

しかしそれでも

雑誌の売上は伸びずに

いよいよ編集部員たちの

不満・不安は爆発寸前…

中川浩さんは腐ることなく

奮闘を続けたある日

庭で遊んでいた息子たちを

見ていてあることを閃きます。

そして

その閃きが結果的に

崖っぷちだった『科学の教室』を

300万部の大ヒット雑誌へと

成長させるのです。

スポンサードリンク

中川浩の閃きとは?

中川浩さんは

「科学や理科を子どもた
ちに学ばせるのに本だけでいいのか。やっぱり実験だろう。そのた
めには実験キットが必要だ。”ふろく”をつけよう」

と言い放ったそうです。

しかし

当時の編集部員たちは

この提案に対して大反対をします。

その理由は

「自分たちは本を作るために学研に入ったんだ」

「おもちゃを作るために学研に入ったわけではない」

というプライドからでした。

そんな編集部員達の

反対を押し切り

「実験観察ができる付録を雑誌に付ける」

という案を推し進めた中川浩さん

もちろんそこには

大きな障壁がありました。

例えばノウハウ

中川浩さんの付録の案は

望遠鏡や顕微鏡

試験管やフラスコにラジオを

付けようというものでした。

これらを一から作れる

ノウハウのなかった学研には

不可能と思われるものでした。

しかし

中川浩さんは関係部署を説得し

協力工場を探すために

全国の製造工場や問屋さんを巡り

結果、努力が実り1963年4月に

『○年の科学』が創刊されることになります。

記念すべき創刊の年の

付録は顕微鏡!

出典:https://www.gakken.co.jp/campaign/70th/furoku/inside_story.html

ついに中川浩さんは

不可能と思われた

付録を実現したのです。

この時

当時36歳だった中川浩さんは

こう語っています。

「子どもに本当の『科学の世界』の不思議さ、面白さを伝えようとしたら、本だけでは無理だ」

中川浩さんは

実際に科学の世界に

触れることでこそ面白さが分かる

ということを強く信じていました。

スポンサードリンク

まとめ

中川浩さんは

多少過剰なところは

ある人だったようですが

本当に必要なものを

考えることができる力が

ある人でした。

中川浩さんの

理念が現在の

学研に生きているんだと

強く感じます。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする